2015/05/19

カメラの終わり

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ilford delta 400

最近はライカを、持ち出すことは少なく、
ただ持っているスマートフォンのカメラを使っています。

それで十分であったり、そちらの方が早かったりするから、慣れたら何も思うことはありません。

デジタルカメラの購入も考えましたが、フィルムカメラが廃れていくようにして、その延長線上にあるデジタルカメラも廃れていくように見えて、所有することにワクワクしなかったのです。

世間では、GoProはもう当たり前のように使われていて、
最近何かと話題になる「ドローン」は、自分の近くを飛んでセルフィーを手助けしてくれるようになったし、
まだ商用にはなっていないものの、ドローンがライトやストロボを積んで、自律飛行しながら最適なライティングをするシステムも構築されています。

一日中、一定時間ごとに撮影する小さなライフログカメラが登場し、
そして、GoogleGlassのようなデバイスの登場で、ただウィンクするだけで写真が撮れるようになります。

また、写真を撮らなくとも、インターネットにはありとあらゆる写真にアクセスが出来ます。
Google Photoにアップロードすれば、どんな傑作もディープラーニングの肥やしです。

箱を手に持つスタイル、上手く撮ってやろうというスタンスが、終わりを迎えつつあるのです。

カメラを持つとは、写真を撮るとは、一体全体、何なのでしょうか。

4 件のコメント:

  1. こんにちわ。

    カメラを持って住宅街をうろついてるとおまわりさんの職務質問受けたりしますよ。
    いや、それ以外の要素が私にはあるのでしょーか。

    カメラを持つってのは私には
    「オレはバカだぞー。」
    って誇示するためのものですかね。

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    1. おーくまさん、こんにちは。
      面白い視点ですね。
      職質は通報があったら交番勤務の方がやらないといけないものなので、それのどこをどう捉えるかですね。
      相手が刑事さんじゃなくてよかったですね、そういう要素がなくて何よりです。

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  2. 僕は逆にデジカメやスマホで写真を撮る機会がどんどん減ってきました。
    良い光景に出会っても、「デジカメだし面白くないや」「スマホしかないし撮らなくていいや」という感じです。
    「ライカなら撮りたい」「フィルムなら撮りたい」という気持ちばかり。

    より自分のために撮るようになったからかもしれません。

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    1. 妥協するくらいなら撮らない、という感じですよね。
      逆にどこまで妥協できるかかといったら4Kフォトが答えに近いです、今の時代、技術によって一瞬を捉えるスキルは不問になりました。。

      それでも、鋭い眼で一瞬を捉えた写真はどこか、パワーが違います。

      これが私の見た世界です、という写真を提示するのに、ライカはより人間に近く、フィルムは人を妥協をさせない最良のツールだと確信しています。
      写真は他人に見せるため、他人と共有するため、とはいっても、見て広めてもらうためには、際立った唯一無二の自分が必要ですものね。

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