2011/12/29

いつでもカメラを持ち歩く

Leica M3 Summicron 5cm/f2

普段カメラを持ち歩く時、私は肩からストラップで吊るさず、常に手で持つようにしています。
(ストラップは付けています)

カメラをショルダーカバンのようにして持っていると、「アッ」と思ったときに間に合わないことが多かったためです。

自分の手に直接持っているのでカメラを素早く操作できますし、人混みであっても、カメラを背の低い子供の頭にぶつけてしまう心配がありません。

本来、肩から吊るすはずのストラップですが、手首にぐるぐると巻きつけておくので、細く柔らかいものを愛用しています。

2011/12/17

良いな思う写真と想いのズレ「たくさんのうちの一つ」

Leica M3 Summicron 5cm/f2


写真の面白さは、撮るだけでなく選ぶところにもあります。


自分で良いなと思った写真が評価されなかったり、なんでもないと思える写真の方が気に入られたり、そんな経験ありませんでしたか?


実は、万人の評価を得るための写真には、決まったセオリーがあったりします。

「プロみたいな写真の撮り方」といった本を買って、書かれている内容通りに写真を取れば、セオリー通りの評価をもらうことができるんです。

けれど、誰でもプロ並みに撮ることができたなら、誰が撮っても同じです。その写真は「たくさんのうちの一つ」でしかありません。
それなら、他の人の写真を眺めていた方が楽ですよね。


表現のテクニックももちろん大切なのですが、写真に込める想いもそれ以上に大切にしたいです。

たとえみんなが同じ景色を見たとしても、その時の人の気分やそれまでの生い立ちによって、気持ちの受け取り方は様々です。

人はみんな違います。だからこそ、共感して通じ合うことに嬉しさを感じる生き物なのだと思います。
全員とは無理かもしれません。けれども、目ではなく心が写真を見ていたとしたら、その写真は違う意味での「たくさんのうちの一つ」になるかもしれませんね。

2011/12/03

「何もない」からの脱却



何も無いことさえ楽しめる人がいて、彼らには何も無いことに意味を見出す力があります。

退屈に耐える多くの人達も、かつてはその能力に満ち溢れていたはずですが、いつの間にか何かなくては楽しめなくなってしまったのです。


道路に白線が引いてあれば、そこは一本橋でアスファルトはマグマ、落ちたら死亡。こんな遊びを子供の頃にしていませんでしたでしょうか?



写真を撮ることで、かつて身に備わっていた感覚を呼び戻して、さらにその力を高めることが出来るように思います。

飛び込んでくる景色を受け止めるために、何もない景色の中で意味を探して回ります。
その行為自体が、何もない退屈から脱却しようとしているのだと思います。

何もないところから意味がつながってシャッターを切るとき、言い知れない知的なエクスタシーすら感じることもできます。

写真が楽しいのは、そのせいかもしれません。

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