2013/02/17

見ているけれど見ていない。

Leica M3 , ? 50mm   

旅行が好きで、景色の良い観光地へ良く出掛けます。

つい先日も、海沿いの絶壁が見事なところへ観光に行ってきました。自分の見るものありのままを感じてみようと、家にカメラを置いて。

とても綺麗な場所でした。遮るものは何もなくて、崖の上から大海原が見渡せて、訪れた人は各々に、ゴツゴツとした岩肌の上を歩いたり、そこにある灯台を眺めたり、吊り橋を渡って途中で真下を覗きこんだりしていました。

そうして順路通りに歩いて行くと、「撮影スポット」という立て札があり、そこからは松の林が開けた場所から吊り橋と海が見えていました。ここが良いと感心して写真を撮ってゆく人もいれば、何も言わず立ち去る人もいます。私はどうだったかというと、良い景色に思いませんでした。

それは感覚がズレているとか、迎合しないのがカッコイイとかそういうことではなくて、「良い景色」は一人一人にあっても良いということを感じた出来事でした。撮影スポットを設置した人は、ここが素晴らしいと思って設置したのです。

そう考えてみれば、「良い景色」は良い景色とは限らないし、「どこが良いの」という景色が良い景色にも成り得ると言えます。

眼で見た空間を解釈して表現することで、どんな素晴らしい景色かを認識することができます。写真はそれを視覚的に表現することを試みたもので、その時の想いを他人に伝えたり、またはもう違う感情になっている一秒先の自分に対する記憶になります。

写真なんて撮らなくていい、そう思ってカメラを置いてきたのですが、どうやらそういうことではないことが旅の教訓となりました。例えどんなでも、表現がなくては見たことにはならないと感じたのです。

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