2013/01/23

フィルムカメラのリズムとルーティン

Leica M3, Summicron 5cm/f2


今、私が使用しているカメラは、フィルムを使うライカと50mmのレンズがそれぞれひとつだけです。

そのライカは古いモデルで、フィルムを巻く時は二回レバーを操作します。

一枚撮り終えたら、親指でレバーを二回巻き上げ、
一枚撮り終えたら、親指でレバーを二回巻き上げ、
。。。

写真を撮ると無意識に親指が二回動くくらい、私はこのリズムに体が慣れています。
このライカの操作がとても体に馴染んだため、他のカメラは全て手放してしまいました。


「このカメラは、撮影するために、二回もレバーを操作しなくてはならない。」


デジタルカメラ全盛のこの時代、明らかに無駄と思えるこの"儀式"ですが、もしも撮影の"リズム"を生み出しているとすれば、これは全く重要な意味を持つようになります。

「体にしっくり来る」とか「これをしないと調子が出ない」とか、具体的には野球選手のイチローがバッターボックスに入った時にやるあの仕草は、その行動と結果に何ら関係がありません。非科学的で、無駄な儀式のようにも見えるでしょう。

しかし、事をなすのは人間ですから、それぞれ繰り返される一連のリズムの中に、自分がどう入っていくかが重要になります。

そのリズムを作るための儀式が、いつもの決まった習慣となっていくのです。

このような習慣的なリズムはルーティンと言って、アスリートはこのルーティンを取り入れ、自己パフォーマンスの向上に役立てています。
一方、企業でルーティンと言えばコストのことであり、自動化や省力化によって減らすべきものとされていることが多いように思います。

フィルムカメラにはルーティンが多すぎます。けれども、それが撮影に良いリズムを与えているとしたら、単なる無駄とは言い難いのではないでしょうか。

何より趣味ですから。

2 件のコメント:

  1. 実に全くもって同感です。
    僕にとってフルマニュアル・フィルムカメラの操作はほとんど神事的作法の領域です。
    神聖にして侵すへからづ。これが実に心地よいのです。

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    1. コメントありがとうございます。
      心地が良い、というのはとても大切な感覚ですよね。
      これは個人の感覚ですから、他人の思う損得で無駄と裁くことに対しては踏み込み過ぎていると思うこともありました。
      神聖な領域というのも頷けます。

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