2014/01/22

今日も世界は美しい。

Leica M3, Summicron 5cm f2

世界が今日も穏やかで美しいのは、私が穏やかで美しいものにフォーカスしてるからに他なりません。

と言うのは、世界とは自分が見たまま、正確に言えば、自分が認識したまま、もっと言えば、自分の世界観であるように思うからです。

誰かが世の中の不満を漏らすその横で、私はニコリと微笑みます。
「あなたの見ている世界を私は知らない。」

今年も、”そういう世界の証明写真”を目指して撮っていきます。

2013/12/14

月一回のブログ。2013年最後のご挨拶。

Leica M3 Summicron 5cm/f2

今年も終わりますね。

毎月1回、多くて2回しか更新しない写真ブログも今年最後のエントリーです。
写真を見てくださった方、文章を読んでくださった方、コメントをくださった方、今年一年ありがとうございました。

フィルムは今年も入手できて、現像にも出せました。
フィルムの無くなる気配がしないので、ライカを二回修理に出しました。
ありがたいことです。

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今年は街でライカを持っていると、声を掛けられることも多くなりました。
ライカと知って声を掛ける人、全く何なのか分からなくて声を掛ける人、いろいろな方と出会いました。

四角くて穴が開いてて後ろに画面が付いていて、それ以外の似た何かは分からない。そんな時代が来つつあるようにも感じられます。

フィルムがデジタルがと騒いでいるうちに、どうしてあの人は箱を持っているんだろうだなんて、言われる日すら近いかもしれません。


カメラ付きのウェアラブルデバイス。
それはスナップショットのスタイルを一変させ、ついでに過剰な撮影禁止と盗撮騒ぎに終止符を打つことになるかもしれません(だから最後の花火は一番大きい)。
ネットがSNSに閉じていく時代、それは都会的人間関係から田舎的人間関係へ、プライバシーからノンプライバシーへ移行していくことを意味しています。だからこのデバイスは大きな変化をもたらすように思えるのです。

通行人の顔面を至近距離で撮るだなんて簡単なこと。
「ok, glass. take a picture.」

ノーファインダー撮影、もういりません。カメラを向ける勇気、無くても結構。

ちなみに顔から個人を識別することは....データが開放されれば、いつでも。

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デジタル写真なら手間もかからないしWEBに公開するのは簡単、でも今みんなが見ているのはYouTubeかも。

いろいろな世界があって、いろいろなレイヤーでいろいろなことが変わっていきます。
そんな中、性懲りも無く伝統のスナップ、レガシーなフィルムと、古いライカ。おまけにブログで更新は月1,2回。

そういうブログを見つけて、なんだこういうヤツがまだ残っているじゃあないか、1人いるなら30人はいるだろう、そんなふうに安心してデジタル化のパニックから抜け出し、気が楽になった人がいたら良いなと思っています。

楽しもうよ。

2013/11/03

ライカ、今年二度目の修理

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ILFORD DELTA 400

ライカが壊れました。
今年になって二度目で、二度ともシャッターが壊れました。

旅先でさあ撮ろうというという時に分かった故障で、為す術もありません。

修理といえばいつもの修理店。そこには純正部品のストックがあります。
ライカのシャッター幕は、幕とリボン、それと金具で構成されています。この金具はもう新品が無いので、たいていは付いているものを再利用する形でシャッター幕の交換となりますが、ここでは全て取り替えてしまいます。どことは言いませんが、一番信頼している修理店です。

しかし今回は、あえて冒険して他の修理店を試してみることにしました。

ダンボールに詰めて発送すること約3週間、同じダンボールには丁寧にビニールで包まれたライカがありました。

ビニールから取り出すと、独特なグリスの匂いが強く漂います。
以前使っていたバルナックライカの匂いと同じで、懐かしい感じがしました。

巻き上げレバーを親指で押すと、少し固いという印象を受けました。それはほんの些細な違いですが、ライカは生きているという良い証拠だと思います。

シャッター音は少し金属感のするものとなり、「柔らかい」と形容されるようなものとは程遠いものです。多くのライカがこのような状態で流通しているとしたら、ライカの良さというのはかなり減退しているのではないかとも思えます。

良い修理人がいなくてはライカも良いカメラにならないのです。
定期的にオーバーホールへ出すことも、大切ですね。

2013/10/20

「いい写真」考

Leica M3?(失念)
「いい写真」という考え方が存在していて、これを指す内容は、人によって様々に変わります。

例えば、写真を撮っている/撮っていない人という、一番根本的に興味がある人/ない人で分けてみると、”写真を評価しているのか、写っているモノを評価しているのか”という違いがあります。


猫の写真。かわいいですね、存在自体が神様からのギフト。どんな風に撮っても絵になります。

子供の写真。はにかむ笑顔、澄んだ瞳。どんな風に撮っても絵になります。

外国の写真。カッコイイですよね、まるで映画、どんな風に撮っても絵になります。



写真を撮っていない人は、上記が無条件で100点満点になります。

何故なら被写体が素晴らしいからです。



ところが、写真を撮っている人は、これを減点していきます。



猫の写真。マイナス30点

子供の写真。マイナス50点

外国の写真。マイナス100点


写真を撮っている人は、それぞれ130点、150点、200点を獲得しないと、評価しないのです。
すなわち、被写体ではなく、写真自体を評価します。

被写体に頼って、「ズル」をしてはならないのです。


そうすると、興味のない人が見て 「どこが?」 という写真が完成します。


写真は他人に伝えるための道具の一種ですので、気軽に「いいね」を貰うことだけにフォーカスすると、それは誰が撮っても同じ写真になります。やがて統計処理で抽出された人気写真や自動生成されたコラージュ写真が流行るようになるでしょう。それでは個人が写真を撮る必要がありません。

表現をする写真家ならば、むしろ孤独で良いのではないかと最近思うところはあります。
上手い下手はどうであれ、他人と違うから自分です。

追記:
感じの良い写真が良い写真、良い定石写真を撮ることが良い写真なら、その他写真は何になるでしょうか。
センスとスキルと一緒くたにすることは、写真趣味の飽きへ繋がるように感じます。
孫が大好きなおじいちゃんが、スタジオ撮影のテクニックを駆使して孫を撮影し、photoshopで大胆な加工をしたところで、孫を思う気持ちが心底満たされるかといえば、どうだろうかと思うのです。何を求めるかに依りますけれど。

2013/10/05

フィルムは減って、価格は高騰。

Leica M3 Summicron 5cm/f2 ILFORD DELTA 400
いつものようにフィルムを買いに行くと、値札の表示に違和感を感じました。

前回買った時よりも、100円ほど値上がりしているようです。

通貨や船運賃の要因もあるでしょうが、需要減が根本原因かとは思います。


消費者が買わないものを企業は売れません。
だからフィルムや印画紙を使わずに「無くなっていく」と嘆いても仕方ありません。

どこかでこんな話を聞いたことがあります。

とある小料理屋のおかみさんが、お店の売上が立たず借金が増えるので、お店を畳むことを常連客に伝えました。
常連客はとても残念がり、「どうかやめないで欲しい」と口々に言いました。
おかみさんはその言葉に勇気付けられ、しばらくお店を続けようと決意したのです。

しかし、お店に客は来ません。やめないでと言った客もロクに来ませんでした。

とうとう、おかみさんの借金は返済できる限度を超えてしまい、お店どころか何もかも失ってしまいました。


楽しいことにはお金を払わなくてはなりません。

ディズニーランドに入場するには入場料を、リッツカールトンに泊まるなら宿泊料を。
ランボルギーニVenenoを所有したいなら3億6500万円を、サンマルクでアメリカンを飲むなら260円を。

払わなくては楽しめません。それを対価と言います。
現在のフィルムの販売価格が、フィルムを愉しむ対価なのです。

フィルムの愉しみが増していく、それは良いことなのです。
私は益々気持ち良く、フィルムカメラを愉しみます。

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