2013/08/10

被写体との関係構築

Leica M3?
過ぎ去った時間は二度と戻ることはありません。
どんなにカメラが進化しても、流れる時間は戻せないのです。

レンズを通して、信頼されてもされなくても、誤解されてもされなくても、傍観者になっても共犯者になっても、一度噛み合ったその関係は弁明の余地もなく、時間と伴に流れていくのです。

失敗は許されないという意味ではありません、ただただ、時間は流れていくのです。


君たちを撮っていたのでは、ないんだけどな。

2013/06/29

ライカの話。一眼レフからライカへ。

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ILFORD DELTA 400

初めてライカを買ったのは、大学生の時でした。
なんでライカにしようと思ったかはもう忘れてしまいましたが、アメリカにある中古カメラ店から通販で購入したのでした。

その時買ったのは、ライカIIIf。

バルナックライカと呼ばれるクラシカルなタイプのカメラで、ダイヤルが2つも付いていて、ファインダーは構図用とピント合わせ用がそれぞれ独立してこれも2つです。

ファインダーが50mm専用なので、レンズも50mmのものを後で買いました。
ロシア製のインダスター22という、エルマー5cm/f3.5のような形をした5000円のレンズです。


そうして手に入れたバルナックライカで写真を撮ってみて、だんだんと気付いたことがあります。

それは、ファインダーを覗いても思い通りにはならないということ。


これには2つの意味があります。

1つは、ファインダーの構造自体、正確なフレーミングをすることができないということ。
一眼レフのように、ファインダーはフィルムに写るのと同じ像を見ているのではなく、別の窓の景色を見るようになっています。被写体が近ければ近いほど、レンズとファインダーが離れている分だけズレてくるのです。

そしてもう1つは、私の場合はファインダーの中でいくら工夫をしても、良い結果にはならなかったということ。
ズームレンズを使って切り取ってみたり、被写体を斜めに納めてみたり、ボケを使って浮き立たせてみたりしても、あとの祭りなのです。
なぜなら、自分の眼で「良い」と思うからカメラを構えたのに、ファインダーでそれとは違う景色になっていたとしたら、良いと思うところはまた違ってしまうからです。


一眼レフカメラは、ファインダーの中で景色を作っていくのに向いているように思います。
スクリーンが作業場で、そこに投影された像が作成中の作品なのです。

一方ライカは、正確にいうと50mmの画角とレンジファインダーは、見たままを捉えるのに向いています。
本当にそれだけで、それだけのことを良くするためのカメラなのです。

ありのままを捉えるカメラがライカで、ありのままを捉えたいと思う気持ちを良く叶えてくれます。
「ありのまま」なので、良い意味でも悪い意味でも誤魔化しが効きません。

本当にそのまま、ありのまま。自分の眼差しがありのままです。


2013/06/13

景色を感じる

Leica M3??

ある景色を二人で見て、それぞれがどのように思うかは人それぞれにお任せする他ありません。

小説のように豊かな言葉によって深い世界に入っていく人もいれば、耳に感じる音のリズムで世界を見る人や、風や匂いに触れて心を響かせる人もいます。

耳で感じる人、目で感じる人、肌で感じる人、いろいろな人がいるから素敵な世界です。

2013/05/19

フィルムカメラの修理とコミュニケーションについて

Leica M3, Summicron 5cm f2
今年の初め頃、いつも使っているライカに、右側が黒くボヤける現象が出るようになりました。
シャッター周りの経年劣化で幕動作に支障が出たようです。

そこで私は、いつもお世話になっている修理店でライカを診てもらうことにしました。
そこは技術に定評があり、そして、持ち込んだライカをなかなか褒めてくれない修理店です。

私の場合も例外なく、買った店のこと、ライカの状態、私の使い方、その全てに忌憚無き評価が下されます。
他の方の話を耳にする限りでは、ひどく落胆したり、憤ったりする方もいらっしゃるようです。
大切にしてきた愛機が「あちらこちらが無事では無い」と言われるのですから、その心情もお察しします。

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この修理店の店主を理解するためのたった一つのキーワードは、「職人」です。

職人になると、修理痕一つで色々なことが読めるようになるようです。
どこの誰が、どのようなレベルの人が、どんなことを考えてどういう修理を施したか。その結果、どのようなことが引き起こされるのか。
それはライカ本来の性能を知っていて、それが正確に100%引き出せないことも知っていて、限りなく100になるよう仕事をしながら、それとは遠い仕事を目にするということ。

100%を超える期待をしばしする顧客に対して、職人としてのプライドと責任感はジレンマとなります。

これは本来の100%ではない、しかし今出来る限りの100%はここまで出来る。そのことを正確に伝えようとすると、職人らしい忌憚なき台詞として表現されるのです。


私は、職人を信頼をしています。
また、職人が魔法使いでないことも知っています。
あるべき姿を目指して仕事をし、100%に至らなかった部分を包み隠さず報告することに尚更信頼をしています。

それが、何を言われようとこの修理店を利用している理由です。

商売として愛想が良くても機械は良くなりません。機械にとっては技術が全てなのです。
そして、機械に対して愛想良く話を出来るのが職人なのです。

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本日の写真は、とある店で買ったレンズで写したものです。
この写真で絶対にピントが来ないと分かり、いつもの修理店にて同じ型のレンズを買いました。
信頼とはこういうことなのです。

2013/04/06

桜が散るように

Leica M3 Summicron 5cm/f2 IFORD DELTA 400

今年も桜を撮らずに桜は散りました。


毎年春がくると、人は桜に惹かれます。

綺麗な花は他にもたくさんあるのに、桜だけには特別な魅力があるようです。
これはどうも、人は桜でないものを見ているのではないかと思うことがあります。

美しい桜を見ているのではなく、美しいと感じる心を見ているのです。


「こんな美しい桜、是非写真に残したい」

そう思って撮った桜の写真はあまりに下手糞、これは良く聞く話です。
それは写真の上手い下手ではなく、撮りたかったものが撮れていなかったからでしょう。

本当に美しいと感動したのは、美しいと感動した自分の心なのです。

だから撮った写真を指差して、

「本当はもっと綺麗だった」
「写真では表現できないくらいすごかったんだ」

と誤魔化してみても仕方のないこと。何故ならそこに心は写っていないからです。


言葉で「こんにちは」はすぐに言えるけれど、心震える「こんにちは」を簡単に言うことはできません。
カメラがどれだけ進化していても、シャッターを押すだけで心を表現できる時代には、まだ少し遠いです。

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